砂漠の王 8



唐崎智里と江波莉津が別れたという話は翌日には電撃ニュースとなり、校内を駆け巡っていた。
ある者はやはり不釣り合いだったのだと呟き、 ある者は江波莉津が二股を掛けたのだと囁き、 ある者は唐崎智里が実は女遊びが激しい欠点があるのだとほくそ笑んだ。
真相のほどは当人たちが知るのみなのだが、 誰も唐崎智里にも江波莉津にもそれを聞けるほど親しくはなかった。

「修学旅行のグループ決めとけよお前ら!クラス内!ついでにハブり禁止な!」

そんな噂の渦中の2−Fでは担任が声を張り上げていた。 大抵は担任を見ておらず、喋りに夢中になっている。 そんな中、智里は姿勢を正して優等生という名に相応しく叫ぶ担任を見つめている。 その横の莉津はというと、両手に破れんばかりに握っている紙を見つめてフルフルと 震えていた。

「な、なにこれ」

横からの微かな呟きに、頭の中で理論を構築しながら担任の濃い顔を眺めていた智里は 隣りの席へと視線を向けた。
その手の中にあるのはHRが始まってすぐに返された定期考査の結果と順位表だ。

「13位…13位…」

ぶつぶつと廃人のごとく呟く莉津を見て智里は状況を一気に理解する。
7月に入って上旬に行われた全学年対象の定期考査。 毎月実施するのだが、恐らく莉津は13位へと下落したのだろう。
担任がうっかり智里に漏らしてしまった莉津の頭の出来だが、 一昨年から個人情報保護という名目上、順位は苗字と名前のイニシャル表示になった。 自分の順位など見なくても分かる智里はすぐに鞄に仕舞いこんでしまったのだが、 確か返されたときに見えた順位表で10番台にE・Rという文字を見た。
およそ一学年240名しか在籍しない学校で13位というのは秀才とは言い難いかもしれないが、 皇令学院は県内でもトップを突っ走る進学校である。 県外からも人気が高いこの学校において13位とは誇ってもいいものであるが、 莉津のプライドの高さがそれを許さない。特に、順位が先月よりも6位も落ちたというのは 許せないポイントなのだ。 ちなみに成績が常に50番以内に入っていれば国立大学は余裕というのが この学校で実しやかに流れている噂である。
耐えきれなくなったのか、遂に机に突っ伏した莉津から 目を反らし、智里は前に向き直った。 既にクラスでは担任の存在を無視し、グループ構成でもめ始めている。 視界に入った担任は腕組みをしながら智里の方を見ていた。
しかし、智里は彼が自分の1つ後ろに座る女子を見ていることに気づいていた。 ただじっと見ているのではない。智里はその目の動きを追いながら考える。
アイコンタクトだ。
何か後ろの女子は内職でもしていたのだろうか。
くだらないと智里が思ったと同時にその女子がこともあろうに莉津に声を掛けた。

「江波さん」

その凛とした声に智里は名前を思い出す。
木下凪早。
2−Fの女子の中では一番背が高く、確か剣道部の主将だ。 不必要なことは口には出さない凪早が莉津に声を掛けたことはクラスのざわめきで 掻き消され、 当事者と智里以外気づいていない。

「なぁにぃ」

がばっと起き上った当事者の莉津は得意の阿呆そうな笑みで斜め後ろの凪早を振り返る。
何故こうも三流役者の演技に騙されたのだろうか。
今になって智里は人間の思いこみとは侮ってはならないものなのだと実感する。

「同じグループにならない?」

凪早からの言葉に智里同様驚いたのか、莉津は一瞬息を吸った。

「り、莉津うれしいなぁ!凪早ちゃんと一緒だなんてぇ!」
「よろしく」

得意なクネクネ動作に凪早は動揺することなく挨拶代わりに右手を軽く上げ、莉津から 視線を離した。そんな凪早と 尋常ではない展開に目を丸くしながら視線を前に戻そうとした莉津は 隣りからの胡乱気な瞳に気づいた。
否定しようとパタパタと慌ただしげに手を横に振る。

どうせお前のことだ。何か裏があるんだろ。
知らないってば!

そんなアイコンタクトを交わしつつも、また妙な人種が現れたと莉津は深いため息を吐いた。
人生平凡に限る。





莉津は図書館へと足を向けた。 図書委員としての定例集会には休むことなく出席するが、 今回はそれではない。
空調の音だけが静かに辺りを満たす図書館をただの読書場として利用するものは 少ない。大抵が図書館を通って併設されている独習のために作られた部屋へと 足を運び、数多くの蔵書をもつ図書館は半分にもその価値を発揮できていない。
そんな中、本を読むためにと設置された隅の6人がけの大テーブルに1人で腰かけた莉津は 早速鞄から先ほどのため息の原因となった順位表を取り出して誰もいないことを いいことに紙とにらみ合っていた。そんな莉津にふっと影が差した。

「江波さん、深刻そうな顔してどうしたの?」

莉津がのろのろと顔を上げると、眼鏡の奥で心底不思議そうな顔でこちらを見てくる 図書委員長と目が合った。委員長は小柄ながらも自分の頭と同じ位置まで本を積み上げて その腕に抱えている。

「定期考査?」

その視線は莉津が手にする紙へと移った。定期考査の結果用紙は薄く青みがかってるがために すぐに判別できたのだろう。

「いや、ちょっと……」

ついつい遼と委員長と一緒にいることが多いが為に早々にして地を出してしまった莉津 はいつもの調子で言い淀んだ。

「あ、ちょっと待ってて」

その様子に首をかしげた委員長は自身の腕の限界に、莉津に断りを入れると 腕の中の本を棚に戻しに行った。戻し終えると 莉津の元へと急いで戻ってこようと駆け足になったのだが、途中で 図書委員長だということに気付いたのか早足へと速度を緩めた。

「それで、えぇっとなんだっけ?」
「はぁ……まぁ勉強量は全く落とさなかったのに何故か順位が落ちまして」

当然のごとく莉津の前の椅子に座った委員長に莉津は手に握りしめていた紙を見せた。 どうせ地が知れているのだし1つ上でもある委員長は警戒する必要もない。

「んんん俺理由知ってるよ」

13という文字に凄いねと平坦な声を莉津に掛けて紙を返しながら委員長はくいっと ずり落ちていた眼鏡を上に上げた。

「え?」
「ここまで成績良いんだし江波さん誘われなかったの?」
「何にですか?」
「なにって、江藤にだよ」
「は?」

何故ここで江藤が出てくるのか。江藤は数学担当の鬼教師として知られている。 いつも智里を嵌めようと難問を出してくるのだが悉く智里がそれを解いてしまうために 2−Fに対する江藤の態度は凄まじいものがある。 莉津も嫌味を言われたことを思い出し、知らず顔をしかめた。

「んんん知らない?江藤さ、補講開いてるの。しかも成績優秀者対象に」
「いえ、聞いたことないです」
「その補講でさ……」

くいっと眼鏡を人差し指でもって押し上げた委員長は莉津を手招きする。 莉津は疑問符を浮かべながら委員長の方へと身を乗り出す。
委員長から知らされた事実に衝撃で 小さいとはお世辞にも言えない叫び声をあげた莉津を委員長が慌ててその口を塞いだ。

「静かに!」
「ふがが」
「大丈夫。行われる場所教えてあげるから」

莉津の口を塞ぎながらも委員長の眼鏡が光ったのを莉津は見た。





「ここの5問目は期末にでるからな!よく解答見とけ!」

最後列の机の下に潜り込んだ 莉津は地べたに座って机に背を預け、持参したICレコーダーを起動させながらメモ用紙に書き込んでいく。
特別棟の1階にある化学室。化学を行う場でありながら、数学教師の江藤が教鞭をとっている。 化学教師の野口が定時に帰るやる気のない若輩者であることが江藤にこの場所を選択させたのだろう。 何故か場所を知っている委員長から教えてもらったここ で莉津はさきほど伝えられたことが事実だという裏付けを得た。

「テストで出す箇所丸々教えるってどういうことだっつの」

ぼそっと悪態を吐く。
委員長が莉津の順位下落の原因ではないかと教えてくれたのは、 江藤が贔屓の生徒を相手にテストで出す問題を教えているのではないかという驚愕の 事実だった。
最初は驚きながらも半信半疑だった莉津はこの場にきて確信した。 グッジョブ、委員長!
疑いながらも礼を言った莉津を委員長は「佐元くんの飼い主だからね」と笑って返した。

生徒たちが江藤の言葉を合図に筆箱を片づけていく音がし、きゅっきゅと 靴と床が擦れる音の全てが去った後、莉津は江藤も退室するのを待った。 思ったよりも長く、教室の後ろにかけられた時計の長針は8を指している。

「……覚えてろよ唐崎」

ぽつりと呟かれた江藤の言葉に思わず莉津は机の下に潜っているにも関わらず、 後ろを振り返った。

「先生!階段の電気が付かないんですけど!」

廊下からの女子の悲鳴に江藤は軽く舌打ちをすると 廊下へと出て行った。
扉が閉まる音の後にごそごそと机からはい出した莉津は教壇の上まで寄ると、その机の上に広がる 資料を一瞥した。
数枚のテストの原稿の上に無造作に置かれた紙を手に取る。 莉津は一瞬逡巡したあと、ポケットから携帯を取り出した。 カメラ付きも偶には役に立つ。





佐元が現れて以来行かなくなった屋上に久々に足を踏み入れた。やはり人は誰もいない。 莉津はスカートが汚れることも厭わずに座ると早速数枚の紙を広げた
昨日家で机の上に携帯のデータを取り出し、紙に写したのだ。
名簿に記された名はやはり唐突に莉津よりも順位が上になった者ばかりだった。 テスト原稿の複製にもざっと目を通し、最後の一枚に莉津は唸る。

「唐崎智里追放計画ねぇ」

内容は至ってシンプルだ。唐崎をどのように学校から追い出すか。 江藤にとってみたら唐崎の存在は目の上のタンコブなのだろう。 研究職になれずに教師となった者達が多く存在するこの学校において、 偏った才能を見せる生徒を憎む教師も少なくない。
別にそうした存在をなんとも思っていない莉津だが、自分に実害があるのは困る。 それに少なからず私怨があることも確かだ。
江藤排除の為に手にしたペンで江藤のプロットに書き加えていく。 途中まで順調だったその手は、一点でぴたりと止まった。
江藤が画策した計画を逆手に取って形勢を逆転する手立てはあるのだが、 完璧なまでに叩きのめすにはやはりこちらも違法な手が必要になってくる。

突然、一陣の強い風が屋上を過ぎた。

「わっ!」

重しもなにもつけてなかった紙は抵抗することなく風に攫われていく。 走り回ってなんとか回収した莉津は、最後の計画書を拾おうと手を伸ばした。 しかし、それよりも先に紙を取った大きな手。莉津は その手の先を見上げ、げっと思わず本音を漏らした。

「中々オモシロそーだね」

そこに立っていたのは佐元遼。ニィと口角を上げた。
絶望に駆られた莉津は思わずうめき声とともに顔を手で覆った。