砂漠の王 7



「おーい唐崎ー」

アップのために軽いラリーをしていた智里はフェンス越しに掛かった声に振り向いた。

「先生」

捕えられた豚のようにフェンスに手を掛けていたのは担任。 バレー部の顧問でもあるのだが、 何故かテニス部の智里の元へと訪れた。 手招きをする担任に近づくと、担任は頑張ってんなぁと声を掛けた後に言葉を繋げた。

「お前さ、この間の定期試験の結果でアメリカ行きの奨学金が決まったけど」
「あ、その件についてですが」
「いや、実際勿体なくないか?俺は担任としてお前に薦めるぞ!」
「いえ、日本でやることがあるので」

語気を荒げる担任に智里は諭すようにやんわりと言う。 学校で月一で行われる定期考査の結果や論文の発表の成果から智里は 学校側からアメリカ行きを強く推奨されていたが、智里自体に行く気はない。

「勿体ないなー。まぁあとは俺のクラスで行けるとしたら江波くらいなんだがなー」
「え?」
「あれ、唐崎全国模試の順位表見てないのか!?」
「はい」

智里は常に間違えた部分の解答だけ見るだけだ。 そんな智里に担任が驚いたように声を上げる。 その大きさにラリーを始めようとした生徒の1人が手からボールを思わず落とした。

「江波さんそんなに優秀なんですか?」
「そうなんだよなー勉強してるとこなんて想像付かないがな!」

天才肌ってやつなんだろうな!しっかしあいつ将来心配だよ!
真剣に唸る担任をちらりと見た後、智里はコートから見える 電気がついたままの2−Fの教室の窓を 見上げた。





体育祭以来微妙に距離感が変化した莉津と智里に、日直という避けては通れない 面倒くさい当番が回ってきた。本来ならば4番目だが、何を思ったか担任の思いつきで 後ろから回るシステムになったのだ。出席番号が最後の女子以外は 誰も異を唱えない代わりに誰も同意もしなかった。
パラパラと日誌を捲った莉津は流れるようにシャーペンを動かす。
借金はしないプラス借りは返す主義の莉津は体育祭の返礼ということで 委員と部活の両立で忙しそうな智里の分をも引きうけた。 申し出たときには、智里にお前も人を労わる精神があったのか、という顔をされた ことには些か不満だったが。

「江波ちゃーん!」
「うわ、出たよ」

貴様はパソコン部ではないのか。
智里の提案は功を奏したのかいないのか、それとも忙しいだけなのか ここ最近はあまり顔を見せなくなった遼。まぁ結果オーライってやつだろう。

「オレ幽霊じゃないにょーん」
「キモッ」

自分を親指で指しながらポーズを取る遼を斬って捨てる莉津。
遼は空いている椅子には座らずに莉津の机の前まで来ると窓枠に凭れた。 夕日の赤が放課後となって閑散とした教室を彩る。 遼は外に見える野球部の筋トレを眺める。

「江波ちゃんもさー」
「なに」

一陣の風に吹かれて木々の葉がひらりと舞った。

「もっと曝け出しちゃえばいいのにねー」

ぴたりと日誌を書いていたシャーペンを止め、莉津は不可解そうに目の前の遼を 見上げる。金髪が夕日の赤に染まって眩しいくらいだ。 その横顔はここにあってないものを見ているようでもあった。

「はぁ?」

眉をひそめて見つめる莉津に遼は視線を合わせた。

「キミの弟みたいにさ」

やけにその弧を描く口元が目に付いた。 日誌に書き込む手は止まらないが、知らずその筆圧を高める。

「……弟がなに」
「何で隠すのさ」

最後に名前を書いて立ちあがった莉津はシャーペンを筆箱に仕舞うと、 机の横に掛けていた鞄を持って立ち上がった。 窓の枠に凭れかかったままニヤニヤと自分を見る遼を見やる。

「何が言いたいの」
「キミのコンプレックスは弟クンのせいでしょー?」

気づけば体が動いていた。
およそ160センチの莉津と174センチの遼との身長差は14センチ。 それ以前に、莉津と遼では男女という画然とした違いがある。 けれどその瞬間、莉津の頭にはそんな考えは存在しなかった。 遼の着崩した胸元の襟を掴む。
掴まれたままの遼はその笑みを崩さず、睨みつけてくる莉津を見返す。

「兄弟姉妹の存在は大きいかんねー」
「あんたに何が分かんのよ!」

思わず大きな声で叫んだ莉津は、掴んだ襟から遼の胸元に傷があるのに気付いて はっと我に返った。気まり悪げに手を離す。

「……謝んないから」
「別にいーよ」

ばっと手を離した莉津に肩をすくめながら遼は更に崩れた襟元を元に戻す。

「佇んでないで入ったら?」

日誌を片手に帰ろうとした莉津は遼のその言葉に勢いよく後方の扉を見た。

「唐崎」

姿を現したのは智里だった。 部活姿のままの彼は片眉を上げると、肩をすくめてみせた。

「それが江波さんの本性ですか」
「悪い?」

ふっと鼻で笑い、莉津は教室を出ようと智里の横をすり抜けようとする。 智里も遼も引きとめようと声を掛けなかったが、莉津は 智里の真横でピタリと足止めた。

「これでお互い秘密は握ったでしょ?だから契約破棄ね」

莉津はじっとその端正すぎる顔を見つめる。
無言のままの智里から莉津は視線を反らすと、そのまま廊下を歩いて行った。

「どういうことですか、佐元さん」

そんな莉津の後ろ姿から目線を教室にいる遼へと向ける。 遼はポケットに手を突っ込んで背中を窓に付けた。

「その仮面外していいよー」
「……ふん。何でもお見通しってやつか。うぜぇ」
「ま、江波ちゃんの本性が分かったでしょ?」
「だからどうした」
「やだなーオレが折角直接的な物言いして態々怒らせたのにー」

オレオブラートに包むほうが得意なんだけどねー。
口を尖らせてそう言う遼を智里は冷めた目で見る。

「呼び出したのはこの為か?」
「王子これからどーすんのー?」
「どうもこうもないだろ。元々俺と江波との間には契約以外に何も存在しない」
「えー仲良くさせようと思って呼び出したんだけどなー」
「なにか勘違いしてないか」
「そー?仲良くなるにはまずはお互いを知るべしって言うじゃん」

それで相手の本性を知ってどうする。まったくもって逆効果だと思うが。

「そもそも何で仲良くさせたいんだお前は」
「んー?オレのため」

不可解なものを見るかのような智里に遼はくすりと哂う。 呆れたように智里はため息をつく。

「だから本質を見ろと言ったのか」
「んー?あれは本性であって本質じゃないよん」
「は?」

誰が言葉遊びをしろと言った。
ラリーを申し込んできた後輩を置いてきたことを思い出し、 まだ活動中であろう部活へ戻るために智里は遼に背を向けた。

「王子ーいつかきっと意味が分かるよー」

後ろから掛かった遼の言葉に肩をすくめながら。






「ただいまー」

自宅の扉を開けた莉津は、玄関に見慣れない靴があることもよく見ずに、 リビングへと足を踏み入れた。

「おかえり」

そして、リビングのソファに座ってテレビを見ている人物を見つけてその足を止めた。 そういえば確か両親は結婚記念日で出かけると言っていた。だが、 思い出したところで後の祭り。

「なんでいんの、竜哉」
「代表戦の用意」

リモコンを手にして若干テレビの音量を下げた無表情な弟を莉津は忌々しげに見る。 竜哉は暗い表情の姉をソファに座ったままで見上げたが、すぐにテレビへと視線を戻した。

「今からでも寮に戻ればいいのに」
「面倒くさい」

欠伸を噛み殺して言う弟に莉津は踵を返すと、リビングを出た。

「さいっあく」

自室に入り、莉津はベッドに凭れるようにして白いクッションの上へと座る。
成績優秀、容姿端麗、品行方正。まるで智里のクローンだ。 おまけにクラブチームに所属していないのにサッカーの年代別代表選手でもある。
アイドルかのように笑顔を振りまく智里に比べ、弟の竜哉は常に無表情だ。 その無表情と無口故に竜哉の通う学校ではクールビューティーというあだ名がまかり通っているが、 それは莉津の知るところではない。
ただ、莉津は出来すぎる弟に常に劣等感を抱いていた。 1つしか変わらない竜哉は、生まれたときから両親の愛を勝ち取った。 まぁこれは姉という立場を持って生まれたからには仕方ないところだろう。 だが、竜哉が大きくなるにつれて周囲さえも莉津と竜哉を比較するようになった。 莉津には、優秀な竜哉を見た人々の姉はどこかと期待に満ちて探す眼差しが未だに忘れられない。
唐突にドアが開く音がし、莉津は顔を上げた。

「ノックくらいしてよ」

いきなり開いたドアに怒ったようにそう言うと、部屋に入ってきた竜哉は 「ああ、悪い」と素直に謝った。

「で、なに」
「これ」

髪に手をやりながら尋ねた姉に弟は1つの紙を手渡す。

「なにこれ」
「チケット」

優待券と思しき長方形の紙には「サッカーU−18日本代表チーム」と書かれてあり、 ついでに対戦相手も記されている。莉津は一つ息を吐いた。

「オークションで売っちゃうよ」

竜哉を始めとしてU−18はイケメン揃いということでマスコミによく 取り上げられてる。中々手に入らないチケットをオークションにかけると 某事務所のチケットと同じくらいの値段には上がる。 莉津が意地悪く竜哉を見ると、竜哉は無表情に言い放った。

「莉津はそんなことしない」

ええ!お前がいうんかい!
半ば茫然としながらも、莉津はそういえば竜哉はこういうヤツだったな、と 思い出す。普段は都内の全寮制の高校に行っているため接する機会は以前より ぐんと減り、忘れていた。
竜哉が部屋を出ていく背中を見ながら莉津は思う。
竜哉は悪いヤツではない。
でも、だからこそ、未だにこのコンプレックスを昇華することができずにいるのだ。
ジレンマの陰に何故か智里の後ろ姿が見えた気がした。