砂漠の王 6



準備期間も短く、気づけば体育祭当日となった。 小中高大を併設するこの学院は無駄に馬鹿でかい。 体育祭も高等部だけが使用するのみなのにも関わらず、 学院所有のスタジアムを使う。確かに臨場感はあるが、移動が面倒くせぇ。
無駄にある控室というべき小部屋がクラスごとに宛がわれ、 そこは普段よりもざわめき全員手には白い鉢巻きを持っている。
クラス別の縦割り対抗という方針は別に構わないが、 こんなに熱くなるんだったら学年の間で亀裂が生じる可能性もあることを 考慮しなければならないのではないだろうか。

「莉津鉢巻き上手く結べないぃ!」

……まぁこういう馬鹿は亀裂を生む以前の問題だが。
女子から絞られた馬鹿女は何かしらのアクションは 起こしてきてもいいものなのにあれ以来何ら変化はない。 変わったといえばこの馬鹿なノリに合わせられるようになってきたことだ。 俺の適応能力半端ねぇ。

「智里くぅんはリレーなんだよねぇ!」
「そうだよ」

馬鹿女といるとつい出てしまう地だが、控室は 普段の教室よりも僅かだが狭い故に気を付けなければならない。ああ、面倒くせぇ。

「よぅし!莉津も頑張るぞぅ!」

何故か壁に向かって片手を挙げた馬鹿女。その鉢巻きは歪んでいる。 一瞬完璧主義の俺の手は疼いたが、直してやる義理はない。 開きかけた掌を再度握りなおした。





有名なアレンジ曲がオーケストラ部によって力強く奏でられている。 いつも学校側からの強制的な要請によって体育祭に出動するオーケストラ部だが、 大抵がその何百万もする高い楽器に埃や土が入ることを嫌って始めの音だしの時なんかは やる気がない。それが、いざ始まったとなると音楽魂があるのか、 下手すれば選手よりも汗をかいて懸命に弾いていく。 それに乗せられたようにスタジアム内の雰囲気もどんどん盛り上がっていく。
2−Fのクラスメイトは白を基調に彩ったFクラス専用の座席に点々と座っている。 チーム内だったら指定されてはいないのだ。

「江波さん!次、借り物競走だから!」
「はぁい!」

普段は全然話さない教室では斜め後ろに座る高い位置で結ったポニーテールの 体育委員が手に紙を持ち、横を駆け抜けながら叫んで通り過ぎていく。 一番の見せ場であると同時に多忙なのだろう。大変そうだ。
鉢巻きをぎゅっと結びなおす。がり勉女の負けず嫌いがいかに凄いかを見せてやろう じゃないの!
唐崎を探すも座席には座っていない。目を離した隙にその姿を消した唐崎を本格的に探す余裕もなく、 グラウンドへ向かうために座席を立った。

「頑張ろうね!」
「うん!」

うーわー超アウェイ感丸出し。 9レーンもあるスタジアムだが、実際使うのは6レーン。 その全てに運動系部活の女子が揃った。 運動系の部活の女子は大抵ジャージを羽織らず、なおかつ長ズボンじゃなくて半パンだ。 1年のときはパン食い競走だった私とはもはややる気からして違う。
ちなみにパン食い競走は衛生上の問題とやらで廃止になった。

「位置についてー……」

パン食い競走のときよりは心臓は高まらない。 短距離走などとは違い、借り物競走は運が大きく左右する競技だ。 ああ、そういえば今日の星座占い最下位だったな……。
始まりの合図と共に、一斉に駆け出す。は、はやい。

「うっわ、なにこれ!」

一番始めに置かれた紙を手にした女子が悲鳴を上げた。ん?
やっと手にした、何故かボールペンがついた最後の紙を裏返す。

「……あちゃー」

見た瞬間、体育委員会の勝ちを悟った。
紙に書かれていたのは数式。しかもこれ、3年の範囲の導関数の応用だ。 こんな意地の悪い問題を出すとは。
周りの子たちも英文やら漢文やらで唸っている。
体育祭とは、クラス別対抗戦でもあるのだが、借り物競走においては ある意味対体育委員の戦いでもある。 体育委員が出しそうな質問を予測してそれに見合ったタイプの子を持ってくる。 単に遠くの物の指定なら運動が得意な子。 知識を必要とするなら勉強が得意な子。 はたまた奇想天外な要求があるときには機転が利く子。
いうならば一種の心理戦だ。今回は予想した全クラス外れ。 ちなみにFクラスは近年稀に見るやる気がないクラスの集まりだとかで 全くそういった用意はしていなかった。
しかし、これじゃあ私でも歯が立たない。 こんなん下手すれば国立の医学部志望者向けの問題だ。
ただ、やはり誰も解けないことを予想していたのか、数式の下にはもう1つの条件が 書いてあった。

「定年間近の英語教師」

ああ、あのシェイクスピアじじいか!
運動部の子たちは早々に諦めたのか、各々のもう1つの条件に書かれた人物を探しに 散って行った。

「とりあえず探すか」

私はゴールではなくスタジアム内へと通じる通路へと走り出した。 負けてらんない!





群がる女子を避けるために人通りの極端に少ないグラウンドが見えない通路の壁に 背中をつける。 どっとスタジアムが沸く音が聞こえる。 体育祭なんて催しのためによくあんな熱くなれんな。 昨晩の徹夜が祟った左肩の痛みを緩和するために右手で押さえつけていると、 慌ただしい足音が聞こえた。
睡眠不足のために動くことも億劫になり、女子ではなければいいとの希望的観測を 抱き、その足音がする方へと顔を向けた。

「馬鹿女?」

確かに向こうから走ってくるのは馬鹿女かつ歩く公害――江波莉津だ。
江波は通路のカーブを曲がるなり俺を発見したようで、そのスピードを上げた。
俺の目の前で止まった馬鹿女の息はかなり上がっている。

「お前競技は?」
「まさに今!問題解けなかったから先生探さなきゃ―― ねぇ、英語の先生見なかった?あのシェイクスピアの!」
「は?田口のことか――いや、見てねぇな」
「ありがとう!」

微かな違和感を抱きながらも言葉を返すと、馬鹿女はそのまま去ろうとした。 馬鹿女の言葉とその手に握られた紙の数式が繋がった途端、思わずその肩を掴んだ。

「な、なに?」

馬鹿女が驚いたように立ち止まる。

「貸せ」

馬鹿女の手から素早く紙を取り上げる。ああ、見覚えがあると思ったら二次導関数に関する証明 問題だ。 二次導関数ならば丁度昨晩仕上げた化学の論文に使用したところだ。

「解けなかったんだろ。ペンあるか?」
「うん」

馬鹿女からペンを受け取り、壁を机代わりに答えを弾き出す。

「ほら」
「あ、ありがとう!」

不可解なことに、何故か紙を渡したときに馬鹿女の表情は歪んでいた。 だがその表情はすぐに霧散し、ペンを受け取ると踵を返した。

「――おい」

珍しい馬鹿女の必死な形相に思わず呼びとめた。

「へ?」
「少し止まってろ」

逡巡したが、手を伸ばして今にもずり落ちそうな鉢巻きを結びなおしてやる。 かなり難解な結び目に少し手間取る。こいつ鈍臭い上に不器用だな。最悪。

「いだっ!ありがとう!」

俺が綺麗に結びなおしてそのまま頭を叩くと、叩かれた後頭部を押さえながらも 馬鹿女は振り返って礼を言ってそのまま勢いよく立ち去った。 自分でも何故ここまで手を貸したのか分からないが、 純粋に直向きさを見せる馬鹿女に嫌悪を抱かなかったことは確かだ。

――しかし、あいつ口調変わったな。
違和感の正体に気づいたのは馬鹿女が視界から去った後だった。





結局英語教師は見つからないままに1位を取れた。唐崎のおかげだ。
あの難解な問題を解けたのかと体育委員は目を白黒させていた。そりゃそうだ。私も びっくりだ。特にあの冷淡な唐崎が私に手を貸したことに驚きだ。 やっぱり今日こそ雹が降るんじゃなかろうか。
競技が終わって座席に戻ると、本日のメインであるミクスドリレーが始まろうとしていた。 男子が3人に女子が3人で構成されたリレーは 男子リレーや女子リレーよりも得点が高い。
グラウンドに姿を現した唐崎に対して起こる唐崎への黄色い悲鳴。
それに応じての周囲からの視線が痛いが仕方ないだろう。
佐元が味方についてくれた御蔭で唐崎様親衛隊は撃退。その噂が広まったのか、 直接的に私に嫌がらせをしてくる女子はいなくなった。やっぱり持つべきものは佐元ってね。 まぁ当初の目的は佐元から離れることだったから本末転倒な感じもするけど。 その佐元は一身上の都合とかで今日は休みだ。なんの都合だっつの。
グラウンドを見下ろすと、白い鉢巻きをした唐崎、それにその隣に青の鉢巻きの生徒会長もいる。 青ってことはCクラスか。生徒会長が唐崎にちょっかいを掛けてる。

「はじまった!」

隣りの女の子が興奮したように叫んだ。総勢18クラスの意地のぶつかり合いだから 凄まじい。当初、優勢だったのは赤のAクラス。 そこから段々と上位と下位のチームに分かれていく。 なんとか白の鉢巻きは上位の後方にへばりついている。

「あ!」

ざわめく白の専用席。佳境となった4番目の白の走者が転倒したのだ。 青の生徒会長に競り負けた故だ。
順位は6位中4位。5番目の白の走者は速い。確か3年のFクラスの陸上部エースだ。
けれど結局順位は1つだけ上がって3位。陸上部のエースから唐崎にバトンが渡った。
途端、沸く白。やっぱり唐崎カリスマ性あるなぁ。
唐崎はまず始めに青を潰しにかかった。抜いた。
最後のカーブにきて赤と並んだ。 当初優勢だった赤のアンカーが微妙に躓いた。 その隙に唐崎はゴールテープを切った。もう地震じゃないかと思うほどの白の沸きあがり。 隣りの女の子が感極まって泣き出した。
唐崎も活躍もあり、結局やる気がないことで担任に嘆かれていたFクラスは6位中2位という 驚異の位置で終わりを迎えた。





「智里くぅん、ありがとうぅ」
「ん?何のことかな?」

やはり先ほどのことは夢か幻……そのわりには唐崎から他言するなとの無言の圧力を感じる。 気まぐれだったのだろうか。唐崎ちょっと猫っぽいしな。
控室では感極まって勝手にフィーバーしてる体育委員の五十嵐が皆によって前に出されていた。

「えー今年はおかげで2位を取れました!皆さん来年も是非受験に関わらず頑張ってください!」

お前も受験だろー!という野次が飛ぶ中、照れくさそうに笑う五十嵐に女子の何名かが ハートを打ち抜かれたらしい。頑張ってたもんなぁ。

「でも2位って凄くない!?やる気ないって前評判だったのに!」
「これも全部……唐崎のおかげです!」

興奮した女子の声に後押しされた五十嵐の馬鹿デカイ声によって、いきなり 後ろのほうで佇んでいた唐崎に注目が集まった。

「唐崎リレーありがとぉおおおお!」
「う、わ」

五十嵐は猛ダッシュで唐崎へと走ってきて、抱きついた。
あ、顔引き攣ってる。 他人との接触を嫌う唐崎がこっそり押し返しているが、五十嵐は今さら止まらない。

「最後の逆転俺惚れちゃったよぉおお!」
「ありがとう」

文武両道とは唐崎の如く。 転倒してしまった4番走者の後にアンカーの唐崎が優勝したときのスタジアムの 沸きはすごかった。貴様はどこぞのアフリカの貴公子だ!あ、それ駅伝だった。

「かっこいいよおおお!」

結局他の男子によって引き離されるまで五十嵐は唐崎にぴったりくっついたままだった。
女子が携帯を取り出して写メりまくってる中、後始末を終えた担任が入ってきて これまた感極まって唐崎をがしっと抱きしめたので凄まじい三つ巴。というかキモい。
誰かが写メを送ったのだろう翌日張り出された校内新聞は一面その写真で飾られており、珍しく唐崎が 田沢湖よりも深いため息をついていた。