砂漠の王 5



早朝、自身の机の上に置いてあった真っ白な手紙に目を瞬かせて莉津は手を伸ばした。 予想はついていたことであり、だからこそ朝一で来たのだ。誰かに知られると面倒くさいことこのうえない。 封を開けて内容に一通り目を通した後、どうしたものかと莉津は一人ごちる。

「『早く別れろ』――なーにこのひねりのない駄文」
「ぎゃっ!」
「上げるならもっと可愛い悲鳴上げてーよね」
「ななななんでいんの、佐元!」

体育会系の部活を除いた生徒は未だ登校の時間帯ではない。 明らかに体育会系ではない遼がいること自体可笑しい。 指をさして絶句する莉津に遼はニィと哂う。

「オレパソコン部だからさー」
「いや、理由になってない!」

莉津のするどいツッコミにケラケラ笑った遼は奪った紙をくしゃくしゃに丸めて ポケットへとつっこんだ。それを見て莉津が叫ぶ。

「ちょっちょっと!それ私宛て!」
「いやいや怨念こもりすぎでしょー」

オレ代々続く陰陽師だからさーお祓いしとくねー!
うわ、平然と嘘ついてるよこの金髪!
遼の発言に食ってかかりながらも莉津は内心ほくそ笑む。 詰め込み式で受験勉強してきた人間の短期記憶を舐めるんじゃないぞ!こんの金髪ハゲ!
妙に莉津に過保護な遼は手紙に書いてある場所へと莉津が行くのを 防ぎたかったようだが、もう莉津の脳内にはしっかりと日時と場所が記憶されている。 売られた喧嘩は買う主義の莉津は逃げ出すという手段はもはや念頭にはなかった。





「じゃあ体育祭の希望集計結果を発表しまーす」

教壇に立つのは小柄で遠くから見ればまるで女の子のような五十嵐龍平。 その小柄さ故の有利か、推薦で入ったバスケ部ではスタメンを張る。 五十嵐の言葉に、それまでざわめいていたクラスが潮が引くように静けさを取り戻した。 それを待っていたのか、五十嵐の隣りに立つ 高い位置で結んだポニーテールの女子が次々とリストを読み上げていく。

「ねぇねぇ、智里くぅん」
「うん?」

そんな体育委員2人を前に、前から5番目の莉津は隣りの席の智里の方へと顔を寄せた。 智里はいつものごとく爽やかな笑みを顔に貼り付けている。

「体育祭のぉ、ジンクス知ってるぅ?」
「は?」

思わずドスのきいた声を上げてしまった智里に、前の席の大人しめな女子が驚いたように 振り返った。それににこりと返す智里。女生徒は首をかしげながらも顔を赤らめて 前へと向き直った。それに頓着せず、莉津は話を続ける。

「彼氏がねぇ、勝った後に自分の鉢巻きを彼女に渡すとね、その愛は永遠なんだってぇ」
「へぇ。それはすごいね」

間髪いれずに有無も言わさぬ物言いで莉津を切って捨てた智里は 黒板に書かれた自分の名前を探した。あった。リレーだ。

「もぅ。あ、莉津ってば借り物競走だぁ」
「いっそ借り物探したまま永遠に立ち去れ」
「もぅ智里くぅんってば!」

しまったと思ってももう遅い。
素が知られてしまってからあれ程取り繕っていた演技に度々ぼろが出るようになってしまった。 挙句、莉津は動じることなく対応する。マゾヒストか。
まったくもってやってらんない。智里は密かにそう思った。
体育委員司会のHRは順調に進み、 一番窓際の莉津は確認のために黒板に書かれた自分の名前のところに赤丸を付けに行った。 智里は窓から二列目なのでその間待たなければならない。 やることもなく持て余していた視線が床の上に落ちているのを見つけた。
手を伸ばし紙らしきものを掴む。莉津が教壇から帰ってくるのを見ながら、 智里はそれを制服のポケットへとねじ込んだ。





「ちょっと!何様のつもり!」

あぁ思った通りだ。
人通りの滅多にない古びた特別棟の裏庭。温室も併設されているが、年中問わずじめじめとした光の 当たらないここはイジメといった悪辣な行為の温床として一部の生徒には知られている。

「告白してきたのはぁ、向こうなんですぅ」
「うっわ。なんで唐崎様があんたなんかに告るのよ」
「そもそも惚れる要素なんてあんの?」

お望みだったらあの仮面の下の毒舌に扱いてもらいな!……とは言えず。
目の前の悪役3人組の中心人物は、恐らく唐崎智里ファンクラブの会長だろう。 裏の校内新聞で顔写真が載っていたから間違いない。 すらっとした長身の美人なのに今やその麗しき御顔はメデューサのごとく。

「聞いてんの!?」
「きゃっ!顔がぁヘビみたいぃ」
「はあ!?」

やべ。つい調子に乗りすぎて相手の琴線に触れてしまったようだ。 美人だけど爬虫類系の顔にコンプレックスあったのか……。
怒りで顔が赤く染まったメデューサ(仮)の手がばっと振り上げられるのを他人ごとのように見ていた。

「はーい。女の子叩いちゃだめでしょー」

勢いよく振り上げられた白魚のような手は、後ろからぬっと出てきた手によって 動きを抑えられた。

「佐元遼……!!」

パチンとこっちにウインクをして、佐元はメデューサ(仮)の手を掴んだままその 耳に口を寄せた。なんか厭らしい光景だ。
ぼんやりと不埒なことを考えていた私の視界には、どんどんとその顔色が悪く なっていくメデューサ(仮)の姿が映っていた。なに言ったんだ、佐元。

「な、なんでそのこと……!!」
「オレんち代々続く陰陽師だからさー」
「……覚えてらっしゃいっ!」

お決まりの悪役台詞を残し、メデューサ(仮)とそのお供たちは呆気なく退散。 残ったのは私と佐元だけだ。

「佐元いつからいたの」

ニヤニヤとこっちを見下ろす佐元に呆れたように問いかければ、 佐元はふっと哂った。

「よく来たわね!辺りから」
「いや、それ一言も言われてないから」

一歩間違えてたら頬が不倫したサラリーマンみたいになっちゃう可能性があった こんなシリアスな場面でジョークはいらん。

「ていうか何で佐元なわけ」
「それはオレも疑問なわけー。だってさ、王子に知らせたのに帰っちゃうんだもん」
「知らせたんかい!」

ということは、なに。私の考えは全部佐元にはお見通しだったってわけ? うーわームカつくー。

「あの手紙見たはずなんだけどねー。ま、んなわけでオレが緊急出動なわけよー」
「なんで知らせるわけ?」
「へー?そんなんお二方に 清く正しい関係ながらもー仲良くなってもらいたいからにきまってんでしょ!」

でも人間関係って予測不可能なんだよねー。
いや、私からしてみたらあんたのほうが数億倍予測不可能だよ。
しみじみと呟く佐元に、ふと疑問が生まれる。

「なんで助けたの?佐元なら簡単に人を見殺しにしそうなんだけど」
「江波ちゃんったらひどーい」

続いていつものごとく軟派な台詞がその軽そうな口から吐いて出てくると思った。でも。

「オレ、学校の秩序保ってんのよ」

思わぬ台詞を吐かれて目が点になってしまった。なんだその自負。
全員基準服に添ってるところをあえて私服になってる奴のどこが秩序を保つのだろうか。
不可解な顔をする私に佐元はちっちっちと人差し指を動かした。

「ノンノン。上っ面じゃなくてもっと本質的なことなのよーん」

なんか佐元に諭されるとムカつくのは気のせいだろうか。 あっそ、と返事をしてその場を立ち去るべく早足で歩き始めた。





「王子ー!」

佐元の馬鹿でかいその声に窓を開ける。
ここ、化学実験室は特別棟の2階にある。 ちなみに窓は寂びれた裏庭に面しているのだが。 実験用の白衣を着た俺は裏庭に立ったままの佐元を見下ろす。

「王子なんで来なかったのー?」

愛しの江波ちゃんがイジめられてるっていう緊急事態なのにさー。
そう演出する佐元を内心嘲笑う。この金髪ハゲには解りきっていたことだろうが。

「実験があったので」

現にその通り、今日は新しい論文発表のための実験があった。 年がら年中呆けた雰囲気がある化学教師は興味深げに論文を読んでいたが 途中で俺にこの場を預けると退室してそのままだ。 煙草でも吸いに行ったんだろ。他人がいると気が散って実験できない 俺としても好都合だ。

「ふーん。じゃあ江波ちゃんがどうなってもいいんだ?」
「いえ。江波さんならば乗り越えられると思いましたので」

言いきった俺を佐元が鼻で哂った。最近観察して分かったことだが、 佐元は多少苛立つと左手で左頬を撫でるという癖を持っている。

「オレさ、本質は見抜けって言ったでしょ」

じゃないと人は信用することもままならないでしょー。
佐元はそれだけ言いたかったのか、振り返ることなく裏庭の湿った土を踏みしめて 立ち去った。
その後ろ姿を見ながら、手をかけたままだった窓が俺の手の力に耐えきれずに軋んだ。
佐元に諭されるまでもなく人間なんて生き物の本質なんぞたかが知れている。 文明は進歩したが、人間自身はその反面何も進歩していない。 汚く、自己保身に生きる生き物だ。
佐元によって故意に落とされた手紙を読みながらも、 江波莉津を助けなかったのは馬鹿女もそうした人間の汚さを持っているからだ。 いざとなったら傷つきながらでも自己保身に走るのだろう。 呼び出した側も再起不能になるまでは手を出さない。何故なら世間体があるからだ。
ああ、マジで上っ面だけの世界じゃねぇかよ。
化学実験室の窓は防音になっており普通の声は遮断され、馬鹿女を罵る声は 届かなかったが、 恐らく先ほどの佐元がいた場所と言い方からして佐元が助けに入ったのだろう。
佐元ほど不可解な男もいねぇな。

「唐崎ぃ?」

扉が開く音と野太い声に振り向くと、扉を後ろにして担任が立っていた。

「今戸締りしてんだけどよ、あれ、野口先生は?」

阿呆らしい。
キョロキョロと辺りを見回して尋ねてくる担任の姿には憐憫の情すら覚える。

「今席を外していますが」
「そっか。じゃ、帰ってきたら化学実験室の戸締り頼んだって言っといてくれ」
「はい」

歯を出して屈託なく笑う担任も、自分の身に危険が迫れば生徒など放り出して 自己保身に走るのだろう。

「しっかし唐崎は遅くまで偉いなー。人望も篤いしな!その奉仕精神、 佐元に見習わせたいもんだよなー」
「ありがとうございます」
「じゃあな、頑張れよ!」

ほら、人の本質さえも見抜けていない。この世を構成しているのはそんな愚かな人間ばかりだ。