砂漠の王 4



家政婦は見た!ではないが、本当に思わぬ場面に遭遇してしまった莉津。 人間何が起こるか本当に分からない。 万事塞翁が馬だなんていうけど、そんな人ごとみたいに故事で冷静に表せるほど 莉津の衝撃は浅くはなかった。

「江波さん」

人は不思議なものだ。 いつもの爽やかな笑顔なはずなのに、莉津には果てしなくその笑顔が腹黒く見えてきた。 頬を引きつらせると、じりり、と後ずさって智里から距離を取った。

「り、莉津何も見てないなぁ!……とか」

てへ、と天然ぶってみるが全くもって効果なし。 逆に何故か背水の陣の莉津。底知れぬ笑顔のまま、睨みあうこと数十秒。 先に動いたのは智里だった。じり、とその足が一歩を踏み出した。
1、2、3。

「うぎゃーーー!!」

予想だにしない鬼ごっこ。命を賭けた、だ。ちなみにBGMは天国と地獄がもってこいだ。
捕まったら確実に抹消される。全国模試トップが考えることなんてえげつないことに 決まっている。 莉津は燃えるごみ用のごみ箱なんて今は用をなさないものを放り投げると、智里に背を向けて 走り出していた。敵に背を向けるとはなんとも不覚ではあるが、非常事態なので しょうがないと諦めることにした。そんな悠長なことを言っている場合ではない。

「そこの馬鹿女止まれ!」

ひぃいいいいい。なんで追いかけてくるんですか。性別は逆であるが、莉津を追いかける智里は さながら山姥のごとく。 当然のごとく莉津に魚の骨だなんて便利アイテムがあるはずもない。

「くそ、見かけによら素早い奴だな」

後方より智里の声。
完璧な王子様であった智里の像。 それが自分の中でガラガラと音を立てて崩れていくのを莉津は感じた。グッバイ、レーニンならぬ唐崎。 涙目で崩れていく像を見送る。
どうりで造り物めいた印象を受けるわけだ、と莉津はようやく合点した。 ミス皇令に迫られながらも、 女子にいくら貢がれようとも、 他人を踏みこませなかったわけが今なら分かる。こんな大きい猫を飼ってたらしょうがないよね! 智里が引いた線に気付いたのも同属だからか!

「おい、いい加減止まれ!」
「誰が止まるかぁ!……わ!」

ばりばりがり勉な莉津はつまるところインドア派である。 教師に嫌われてもいないのに、体育の成績は常に3だった。10段階中。ある意味、奇跡である。 中学の時の担任にも体育の成績で泣きつかれたのは記憶に新しい。
そんな輝かしい経歴を持つ莉津は、期待を裏切らず、見事に何ら変哲のない石に躓いた。 しかし、その手をがしっと掴んだのはようやく追いついた智里だった。

「あっぶねぇな。運動神経切れてんなら気を付けろよ」
「……」

智里の腕の中にホールドされた莉津は固まり、言葉が出ない。。
転びかけた莉津の腕を、智里が掴んで転ばないようにと自分の方へ 引き寄せたことが招いた結果である。決して甘い理由ではないことは重々承知ではあるが。

「は、放してくれないかなぁ?」

異性とのコミュニケーションなんて皆無に等しい莉津。 その心臓はもはや狭心症を疑うほどまでに動悸が激しいが、 何とかぶりっ子江波莉津モードを取り戻した。

「あ?放したら逃げんだろ」

……本当にどこの不良だろうか。こんな人、同じクラスにいただろうか。
しかし、低すぎず高すぎずの美声が耳元ですると、くすぐったくて堪らない。

「り、莉津逃げないからぁ、放してぇ」

思わず自分が出した声に莉津は愕然とする。 この状態でぶりっ子を演じると自分が気持ち悪くなるのに気付いたが、後の祭り。 それは智里も同様だったのか、ものすっごく嫌そうな顔をして半ば自ら逃げるようにして腕の拘束を解いた。

「なぁ、ば――江波」

ばえなみ?
対面した莉津と智里の間は、今までにないくらいの距離だった。 普段から智里は自分のテリトリー領域が広すぎるのだ、と莉津は思う。 貴様はどこの野良犬だ、と。
智里は莉津がそんなことを考えているとは露知らず、一つ大きな息を吐いた。いわゆる、ため息と呼ばれる類のものだ。

「付き合わないか?」

青天の霹靂。目が点。
莉津は快晴の空を見上げて雹が降ってこないかを数秒待つ。 思考回路が飛んで、数週間前を思い出す。そういえば佐元に初めてあった時も晴天だったっけな。 晴れの空にろくなことはひとつもない!

「雹なんて降ってこねぇよ。」

何故思考を!
空を見上げていた視界に大きな掌が入り込んできて、 そのまま頭をガシッと掴んで智里自身へと 向き直させる。本人は愛の告白をしているっていうのに凄く嫌そうな顔だ。

「お前俺のこと好きだろ?」

ナルシスト!莉津はあんぐりと口を開けた。

「おい」
「はひ?」

呆けたままの莉津に焦れた智里は、目の前の少女に遠慮なく舌打ちをしてから 切り出した。

「お前、あのアメリカ帰りの金髪ハゲから離れたいんだろ」

全くとんだ言いようだ。 ちくっちゃうぞ!と内心で思ったが、莉津は否定も肯定もしない。

「はふ」

衝撃が大きすぎて言葉も上手く出てこないのだ。

「俺がいれば一応の佐元避けになんだろ」

……。
つまりは、智里が間接的にではあるが、佐元から莉津を守る、と。 なんだかとてつもなく少女漫画的展開だが、その背景は全員が全員不純な動機まみれだ。 検察に立ち入られたらコンマ数秒で不正が見つかってしまうレベルだ。
しかし。口から生まれてきたんじゃないかと思うほど煩い佐元と不純な告白を天秤にかけた結果。

「智里くぅん、よろしくねぇ!」

きゃぴ、と頬に人差し指を付けるぶりっ子ポーズを取った。 あの金魚のフンみたいな佐元を追い払えるならば不純な告白の圧勝だ。なんせ 私自身不純だからね!
唐崎はふんっと鼻で嗤った。ああ、白馬の王子から一転、なんか悪の大魔王って感じだ。

「契約成立だ」

まさかお前と契約組むなんてな、といいながら唐崎はもう用はないと言いたげに踵を返す。 しみじみと大魔王のその背中を見ていたのだが、途中で唐崎はピタリと歩みをとめて振り返った。
も、もしかして心の声がダダ漏れに!?

「言い忘れてたが契約執行は明日からだからな、馬鹿女」

んな。ば か お ん な。
絶句して何も言い返せずにいる私を置いて、唐崎はまたさっさと歩き出したが、数歩も行かないうちに振り返った。

「他言無用ってことだけは分かっておけよ」

唐崎の中での私の位置は馬鹿キャラだととことん実感する。そんなことくらい分かってるわ!
今度こそ唐崎は姿を消した。
残された私はもう一度空を見上げた。 お天気お姉さん、今日は雹が降るって本当に言ってなかったっけ?





翌日。私と唐崎は、2年に進級して隣の席のよしみということで交換したメアドを初めて 有効活用し、校門前で待ち合わせた。 残念というべきか、私の家と唐崎の家はかなり離れたところにあるから互いの家に行くのも 面倒くさいということで校門前で落ち着いた。

「ちょちょちょちょちょっとぉおおお、唐崎様が……!」
「私の唐崎様がぁあああ!」

比較的早い段階だったから人は疎らにいただけだったけど、唐崎の人気具合からして やはり反響は凄まじかった。
唐崎と並んで歩く私には視線という名のナイフが数千本は突き刺さったように 感じる。もはや比喩のレベルではない。制服破れてないかな?
唐崎は時折親密気に顔を寄せてきてそいつ等を挑発したので、 私は当分学校を一人で歩けない気がしてきてゾッとした。人気者って案外大変だな。
教室に入ったら入ったで、あのポニーテールのつり目の子が鋸のような目で 睨みつけてきたり、男子がからかい半分で冷やかしてきたりと生き地獄。 今となっちゃ佐元とうふふあははと追いかけ合ってたほうが良かったかとさえ 思ってきた。その肝心の佐元はというと。

「グーテンモルゲン!キミたち第三ヶ国語にドイツ語やると死ぬよーん」

お前の教室はここか。
爽やかにクラス中に挨拶して大股で私と唐崎へと近づいてきた佐元は 右腕を唐崎に、左腕を私に掛けて私と唐崎の間に顔をズイッと突っ込んだ。

「キミたち付き合い始めたんだってー?」

どこぞの詐欺師かのようにニヤニヤした哂いを浮かべる佐元を唐崎は爽やかな笑みをもって 見つめている。何も知らなかったころの私はそれを全くもって無害な笑みだと 思っただろうが、今となっては般若のごとくである。 決して某お笑いコンビではない。

「王子ー、清らかなお付き合いならいいけど莉津ちゃんに手ぇ出したら殺しちゃうよ?」

手ぇ早い男ってモテないらしーよ。
笑顔でそう言い放つ佐元に私は身の毛がよだつが、唐崎は逆に どの角度からも純度100%に見えてきた 笑顔に黒いものが浸食し始めていた。ひぃ! 離れたいのに佐元の左腕が首に食い込んで離れない。この馬鹿力!

「失礼ですがそれは保障できませんね」
「ええー?悪いけど聞こえなかったー」
「若年性難聴じゃないですか」
「そうかなー。耳悪くてもオレ、キミほど頭悪くないつもりだけどねー」
「失礼ですが一度MRI検査を受けてみたらどうでしょう」
「ざーんねん。オレ狭いとこ嫌いなーんだ」
「ああ、MRIでは確かセロトニン不足は検出されませんでしたね」
「オレ集中力はキミには負けない自信あるよー」
「モルモットみたいな頭髪をして何をいうんですか」
「キミもその胡散臭い仮面外したらー?」

まさしく舌戦。こわすぎる。IQvs模試だわ。 少しザワメキが静まり返り、 耳を澄ませて聞いていたクラスメイトたちも途中から内容が理解できなくなったらしく 再び噂話へと意識を戻す。確かに まだ序の口であるのに凡人のキャパシティを超越したレベルだ。

そんな2人に終止符を打ったのは担任だった。

「あだっ!」

バコッという小気味よい音とともに叩かれる佐元の頭。
佐元はいたたと頭を擦りながら後ろを振り返って口を尖らせた。

「いったー。脳細胞減ったらどーしてくれんのよ。弁償してくれーんの?」
「お前の脳細胞が半分くらい死滅しても俺の倍以上はある! それより俺のクラスの有望な唐崎を悪の道に引きずり込むな!」

……それ偉そうにいうことか?
どーんと身長が180以上ある担任はしゃがみこんで口を尖らせて自分を見上げる 佐元を見下ろした。

「オレだって隔週で体育に参加してるじゃーん!」
「隔週じゃなくてちゃんと毎週出ろ! あ!そういえばお前体育祭もちゃんと出ろよ!祭りじゃないんだ!あれは戦いなんだ!
……じゃなくて!お前のクラスはここじゃないだろ!1階下だろが!」
「えーオレ2年に編入すればよかったー」
「つべこべ言わずにさっさと出てく!」

ケチー干物男ーホモーだから独身なんだよねー。
グサグサと担任の傷口を抉りながらも、佐元は軽妙に女子たちに手を振りながら 教室から出て行った。女子の黄色い声が残響として残る教室でポツリと声が聞こえた。

「金髪ハゲ」
「ん?なにか言ったか、唐崎」
「いえ、なにも」
「おっかしいなぁ。なんか呪詛みたいなんが聞こえた気がしたんだが……」

私はぼそりと隣の男が毒を吐くのを耳にしてしまった。 担任が不思議そうにキョロキョロとあたりを見まわす。先生、元凶はここにいます! 担任に言いたげにうずうずする私に唐崎がにこりと笑ってこっちを見た。

「江波さん何か考えてる?」

ひ、ひぃ。考えがすべて筒抜けになってる!

「な、なにも考えてないよぅ」
「そう。ならいいけど」

にこりと笑う唐崎が恐ろしくて堪らない。

「江波今日震えるほど寒いかー?」

不思議そうに尋ねてくる担任は絶対天然だと思う。 これで故意だったら悪意ありすぎてむしろ怖い。 加えて彼女はクール系がお似合いだ。私の斜め後ろに座る、髪を高めのポニーテールにしたクールビューティーな外見をした女の子が 天然な担任を鼻で笑ったのを見て漠然とそう思った。女の子にしてみたらいい迷惑だな。