砂漠の王 11



「江波さーん、これ持って行ってー」

悪いね、女の子に力仕事させちゃって。
本当に申し訳なさそうにそう告げる図書委員長を責められるヤツがどこにいるか!
まぁ確かに月1で大掃除をする委員長の潔癖具合もどうかと思うんだけど、 問題は図書委員に所属しているはずなのに全く顔を見せないその他大勢の 肩書きだけ図書委員連中にある気がする。

「くっ重い……!」

どさっと渡された卒業アルバムらしき本の束を抱えつつ、本棚の間を 抜けていく。冷暖房完備で快適なはずの図書館だが、 重労働に思わず汗がじわりと額に浮き上がる。
視界の端に捉えた珍しく読書をする女子生徒の姿に思わず 抱えていた本を落としてしまった。

「あちゃー」

これ抱えなおすのも大変そう……。
バラバラに地面に伏せっている 重厚な装丁がされてある本を見下ろし、莉津はため息を漏らした。

「ん?」

全冊予想通りの卒業アルバムだったわけだが、 拾い集めていた莉津はその中の1冊に手を止めた。
落としたときに偶然開いたページでは1クラス分の生徒の顔写真がこちらを見ている。
その内の、少し離れた1つに莉津は気を取られる。

「――佐元律子?」

こちらに向けて微笑んでいる女子生徒の下に書かれた名前の苗字部分には 嫌でも見覚えがある。 よくよく見ると、その顔はいつもあのニヒルな笑みを浮かべている男と重なる。 あの顔をもっと女性的にした感じだ。

「ああ、それ佐元くんのお姉さんだよ」
「うわっ!」

抱いた疑惑に まじまじとその写真を眺めていた莉津は、ひょっこりと後ろから顔を出した 委員長に驚きの声を上げた。委員長は 莉津の後から、手元のアルバムを眺めていた。

「綺麗な人だよねー。生徒会長でまさに才色兼備を体現したかのような! 俺の憧れの人だったんだ」

どこか夢見心地でそう呟く委員長に、もう1度莉津は 手元の写真を見つめる。穏やかに微笑んでいる様はさながら女版佐元だ。 顔だけではなく性格も弟似だったのだろうか?

「俺が中3のときに高3でさー」

あれは木漏れ日が差しこむ日だった……。
勝手に1人で自分の世界へと浸っている委員長を傍らに、 莉津は8月の暑い中、一緒にサッカーを観戦した遼を思い出す。 どこか悄然とした様は未だにありありと脳裏に浮かぶ。

「そういえば江波さん似てるね、名前」
「ああ、そういえば」

リツ。
漢字は違うが、響きは同じだ。

「ちょっと貸して」

委員長はそう言って莉津からアルバムを受け取る。 懐かしそうに佐元律子を眺める委員長に、ふと疑問が浮かぶ。

「佐元のお姉さん、今なにしてるんですか?」

つぅ、と委員長の外見からは意外なほど繊細な人差し指が写真部分をなぞる。 懐かしそうにその目を細めた。

「彼女なら――」





屋上のフェンスを乗り越えて校舎の縁に腰かけた遼は、 常人からは自殺願望があると思われかねない自身の様に気にした様子もなく 足をブラブラさせながら 風に決して長くはないその髪をたなびかせていた。 そのまま後ろを振り返ることもなく口を開いた。

「なにか用かなー、江波ちゃん」

屋上の鉄でできた扉の前には風に吹かれながらも莉津が立っていた。 莉津は自分の足元に視線を落としていたが、 思い直した様に目の前に映る背中を見据えた。

「お姉さんのこと聞いたよ、佐元」
「――ああ」

遼は相槌を打つと、高い空を飛ぶ鳥を見上げた。 ここからだとなんの鳥かさえも分からない。太陽が眩しくて目を細める。

「私に近づいたのは名前が似てたから?」

遼は鳥から目を離し、はじめて後ろに佇む莉津を見た。 その顔には嘲笑が浮かんでいた。

「そんな非生産的なことしなーいよ」
「じゃあ……」

言い淀んだ莉津に哂いながら、 遼はフェンスを軽々とのぼり、スタッと内側へと降り立つ。 右手だけポケットに突っ込み、莉津と対峙する。

「江藤のときの条件、覚えてるー?キ・ス」
「貴様の記憶力はスッポンか!」
「やーだなー。俺食べても精力増強しないよー」
「いや、問題はそこじゃないっしょ」

莉津のツッコミに遼は可笑しそうにクスクス哂って、前へと、 莉津へと向かって歩みはじめる。

「俺には奉仕精神なんてないんだよー」

すべて打算。
キミに手を貸したのもね。
莉津はその言葉を耳にしても一切動じない。

「元から知ってたよ。貸し返すためになにか手伝えばいいんでしょ」

そこに毅然と立つ莉津に遼はその笑みを深めた。

「ごめーいとう。キミと王子に手伝ってもらいたいことがあるんだよねー」
「……私はなんだってやるけどさ」

ぴたり。莉津の前に来てその歩みを止めた遼は 目の前に佇む人間を面白そうに見下ろした。
パチン、と自分を真面目に見返す莉津の額を叩く。

「いたっ!」

満足げに哂った遼は扉に手を掛ける。

「じゃ、今日の放課後部室集合ねー」

不満げに振り返る莉津にヒラヒラと手を振って遼は扉を開けた。 その背に莉津が声を掛ける。

「佐元!」
「ん?」
「私は別にギブアンドテイクで手を貸すわけじゃないよ」
「?」

遼が珍しく訝しげな顔をする。 莉津の目にはその顔が新鮮に映った。 いつも人を食ったような顔をしているイメージしかない。

「あんたが友達だからだよ!」

ふんぞり返ってそう言った莉津に遼は一瞬だけ目を丸くする。
肩を竦めて 「ありがと」とだけ言い放つとニィと哂って扉の先へとその姿を消した。

「友達がいのないヤツ!」

折角友達認定してやったというのに。
閉じられた扉の先でそう憤慨する莉津は知らない。
遼の哂いの中に微かな変化があったことを。





「彼女は――亡くなったんだ」

深い深淵の色をその瞳に湛えて委員長はそう告げた。





「ねぇ、唐崎」

HRは今日も騒がしい。
今回は文化祭の催しものを決めるということで担任も騒いでいる。 生徒の自主性はどこへやら、クラス委員を差し置いて自分で司会をする 教師も珍しい。 智里がクラス委員として議題の司会を務めたときもあったのだが、 女子が全く意見を言わなかったので業を煮やしたらしい。全くもって短気だ。

「なに?」

本を読んでいた智里は、ガサゴソと机の横にかけた鞄の中を漁っていた莉津 から声を掛けられて瞠目した。珍しいこともあるもんだ。

「今日空いてる?」

1トーン落とした声で尋ねた莉津に、元から大きい智里の瞳は更にその大きさを増した。
しかし、うろたえるほど智里は大根役者ではない。 瞬時に笑顔にすり替えた。

「何で?」

きっと裏があるに違いない。 その智里の勘は確かに当たっていた。 莉津は鞄に向けていた目を隣りの智里に向けた。

「あのさ、手伝ってほしいことがあるんだけど――佐元が」

ぴくりと智里の眉が動く。何故佐元が出てくる。 その智里の心を読んだのか、 莉津は付け加えるように言った。

「この前カンニング――」

思わず大きくなった声を拾った智里の前の席の女子が振り向く。
それににこりと微笑み返した莉津は、女子が不思議そうにまた前を向くのを見て、 智里に視線を戻した。

「――のときに助けてもらったでしょ。貸しつけたままだと気持ち悪くないの?」

確かに佐元に貸し1つとは何ともおぞましい響きだ。
智里は、黒板に書かれた模擬店、という文字に眉をひそめながらも、 頷いた。

「分かった――どこへ行けばいいんだ?」

後ろの凪早は担任に向かって周囲に分からない程度に手を振り、
勢いづいた担任は模擬店、と手元の文化祭委員が配った調査票にデカデカと書き、
お化け屋敷を推奨していたクラスの3分の1はぶーぶー文句を垂れた。
2人の声はその騒音の中に掻き消されて誰の耳に届くこともなかった。