砂漠の王 14 結局これからどうするのだろう――? 微動だにしない一成を置き、屋上へ通じる階段を3人で下りていく。 斜め前では佐元が頭の後ろで腕を組みながら鼻歌まじりで歩いている。随分とご機嫌だ。 対して、半歩後ろを歩く智里をちらりと見ると、どこか心あらず。深い思考に落ちているようであった。 知らずため息を吐いて、莉津は前を見る。それにしてもやらなければ気が済まぬことがある。 「佐元ー」 「んー?……って、あだっ!」 エントランスへと続く廊下の途中、莉津が振り返った佐元の腹に勢いよく蹴りを入れた。 まともに蹴りを食らった佐元がよれよれと手を壁につく。うっ!怪力女……!! 「何が怪力女だっての!あんた、いつの間に唐崎と仲良くなってんのよー!」 激昂した莉津。思いだすのは智里にばかり情報がいっていたことだ。 「ええー?怒っちゃイヤン。りっちゃんの方が好きだから安心してよねー」 「はぐらかすな―!違法スレスレなことやらせやがってー!」 「あら、やっだ。スレスレじゃなくて、違法だよーん」 「……あんた、なんでそんなこの学校に拘んの?」 身をくねらせてふざけていた佐元は、莉津のその言葉に口元は笑いながらもすぅと目を細めた。そこに映るのは嘲りか。 一成にはたじろがなかった莉津が、その笑みに思わず半歩下がったとき、とん、と背に何かが触れた。 振り返るといつの間にか智里が莉津の背に手を当て、冷静に佐元を見ていた。 「こんだけ協力したんだ。こいつにくらい話してやればいいじゃねぇか」 そんな智里を佐元が面白げに見やる。 「ふーん……まぁ、話すことなんてキミにはないないもんねぇ」 ぴくりと智里が動くのを莉津は感じたが、彼は肩を竦めると佐元を相手にせず莉津から手を外してさっさと歩きだした。 「あっちょっ!」 「あーあ、陥落かなー?」 面白そうに智里を見ていた佐元は、その後ろ姿が消えると「さて」と莉津に向き直った。 思わず身構える莉津に、くすりと哂う。 「駅まで送るよ、江波ちゃん」 「どっから話そうかなー」 ゆっくりとしたペースで歩きながら佐元は仄かに赤く染まった空を見上げる。 「江波ちゃん、佐元律子が死んだことは知ってるよね?」 一瞬、誰のことだか莉津は分からなかった。 しかし、フルネームで言われた名前は、佐元の姉のものだと思いだす。 「うん。不慮の事態が発生して……」 そう、あのとき、偶然にも卒業アルバムを落とさなければ知りえなかったことだ。 姉弟揃って端正な顔立ちだったが、佐元とは違って優しそうに微笑む人だった。 「律はさー、1人だけ日本に帰って母親の母校の皇令に入ったんだよね。高校時代は異例の3年間生徒会長」 ああ、あの委員長の恍惚とした表情を思い出す。 ちらりと盗み見た佐元も、今までにないくらい穏やかな顔をしていた。 莉津の脳裏に微かな疑問が過る。佐元律子とはどんな人だったのだろう? 「オレは両親と一緒にアメリカ住んでてー、律が大学に入ったときにも学校サボって日本に遊びに行った」 しょっちゅう行きまくってたんだけどねー。 そう話す佐元は、まるで等身大の少年のようで。莉津は一瞬だけ隣りを歩く佐元をほんの身近な人間のように感じた。 すると、突然佐元がその歩みを止めた。 一体どうしたというのか。横を見ると、佐元が莉津を見て、トントンと親指で自分の胸を叩いた。 「江波ちゃん、ここの傷跡見たっしょ?」 「ああ……」 苦い記憶だ。弟の竜哉のことで言い争いをした際に、ちらりと見えた傷跡。 渋い顔をした莉津が可笑しかったのか、佐元はクツクツと哂うと、また歩き出した。 「あれさー、律が死んだ日につけたんだよねー」 「え?」 莉津から見える佐元の横顔には、色々な色が混ざり合って浮かんでいた。懺悔というには深すぎる、莉津が今まで一度も目にしたことのない表情だ。 「律は、空港に向かう途中、信号無視した車からオレを庇って死んだ――ほぼ即死だったよ」 莉津は掛ける言葉を失う。それじゃあ、佐元の目の前で彼女は轢かれたというのだろうか。想像を絶する事実だ。 「どっかの韓国ドラマみたいだよねーんな陳腐なことが起きるなんて思ってなかった」 必ず全員に平等に訪れる死。しかし、未来が希望溢れる前途洋洋の若者に、突然の姉の死は大きな衝撃を与えた。 「人間っていう生き物も脆くて呆気なくてさ、頭強打して病院に運ばれたオレが目が覚めたときには律は霊安室」 事態を理解したとき、頭が狂いそうになって病室にあったペンで胸を突き刺した。 「まあ、幸運っつーか不運っつーか、看護師に見つかって大事には至らなかったけどねー」 淡々と話す佐元に、莉津は無言のままだ。 一体、目の前の人はどれだけの傷をその身の内に隠しているのだろうか。 神妙な顔つきの莉津に何を思ったか、佐元は肩を竦めた。 「で、せめてもの償いの意味で、律が大事にしてた皇令を腐りかけから立て直すことにしたわけ」 「――」 「うーん、しんみりすんのが嫌だったから話したくなかったんだよねー。でも江波ちゃん、どっか律に雰囲気似ててさー」 「ごめん!」 「は?」 突然の謝罪に目を眇めた佐元に、莉津は思いっきり頭を下げる。 「いや、自分が今までいかに小さなことで悩んでたのかと思うと……」 この鮮やかなまでの弟へのコンプレックスは、相手が生きていてのものだ。 莉津は申し訳なさ過ぎて目の前に佇む佐元を直視できなかった。 「……江波ちゃんって馬鹿?ちょっと、顔上げてみ」 呆れたような佐元の声がする。 も、もしや平手打ちにでもあうのだろうか!? 恐る恐る顔を上げた莉津の額に、軽い衝撃が走った。 「デコピン?」 痛さよりも行為自体に驚く莉津に、ふっと佐元が歪んだ笑みを見せる。 「悩みに大小なんてないんだよ。どんなんだろうがキミのも立派な悩み。抜け出そうともがくのはオレと同じでしょ?」 莉津は、佐元の分かりづらい優しさにじんわりと目頭が熱くなるのを感じた。 佐元は、うるうると目を潤ませた莉津を呆れたように鼻で哂う。 「ま、生きてる内は後悔しないように仲良くやんなよー。んじゃ、バイバイー」 気付けば、駅の前に来ていた。何ら未練もなく立ち去ろうとする佐元の背に、莉津が慌てて声を掛ける。 「佐元!生徒会長どうすんの!?」 「あー彼?んーそうだなーオレの有能な駒にでもしちゃおっかなー」 振り返った佐元は人の悪い笑みを浮かべながらそう告げた。佐元と書いて鬼畜と読む。哀れ、日比谷一成。 今度こそ立ち去ろうとした佐元に、また待ったを掛けた。 「んもー、なんなのよー」 不服そうに呟く佐元に、莉津はごくりと唾を呑む。流れる沈黙に、それでも、なお佐元は莉津の言葉を待っていてくれた。 「――ねえ、なんで私に話してくれたの?」 ようやく切り出した莉津の声は戸惑いに満ちていた。 幾ら智里の後押しがあったとしても、重すぎる話。世間話の類じゃない。そこには確かに佐元の意志がある。 莉津の真剣味を帯びた声に、ああ、なんだそんなことか、と佐元が言ったような気がした。 にやりとその口元が弧を描く。 「――だってオレら友達なんでしょ?莉津ちゃん」 佐元は酷く楽しげにそう言うと、茫然とする莉津を残して去っていく。 思わぬ彼の発言に、あんぐりと口を開けた莉津はしばしそこで直立不動のまま固まっていた。 明日は槍が降るかもしれない。 『キミもう江波ちゃんに惚れちゃったでしょ?』 夜の闇の中、煌々と手の内で光る携帯に浮かびあがる文面に、智里は舌打ちをする。 物理的に携帯を閉じたはいいものの、似非金髪野郎――佐元からのメールは頭の中でリフレインされる。 婉曲の婉曲を好むヤツが珍しく直接的な物言いをするときは、大抵何か他に目的がある。そして、それを既に智里は知っていた。 しかし、佐元の思惑に乗ることは出来なかった。 人を信じたくはない。――いや、語弊がある。人を信じて、裏切られるのが怖いのだ。 己の中を覗けば、深淵の闇がそこにはただただ広がっている。 まるで、パンドラの箱のような。 しかし、彼はその蓋を開けたが最後、残るものが何かを知っている。 「『希望』なんて生温かいもんじゃねぇ……『絶望』だ」 それは何人たりとも打ち消すことができない事実。 まさしくヤマアラシのジレンマ――いや、もしかしたら自分にはもう接近欲求だなんて人間らしいものは残ってないのかもしれない。 ならば、微かにでもあの少女に縋ろうとするこの手は何を意味するというのだろうか――? 智里は未だ深い闇の中にいた。 *ヤマアラシのジレンマ…他者に対する接近欲求(離れてると寒い)と回避欲求(近づくと痛い)が並存していること |